シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

恥ずかしがりやで人前に出たくない人ほど、結婚式をした方がいい理由

昔から、人前で注目されることが苦手でした。派手な恰好をしたり、お金をたくさん使ったりするのも嫌でした。だから結婚がきまったとき、「式をしない」というのも、選択肢のひとつとしてありました。
結婚式なんて、美人でモデル体型でセンスもお金もある人がやればいい。ごく普通の人が、たった数時間のために、何百万円もかける必要が本当にある?と、ひねくれ者の私は思いました。

結局、夫と話し合って式を挙げることになったのですが、準備は想像以上に大変でした。決めなくちゃならないこと、こまごまとした作業が膨大にあるのに、夫は仕事が忙しくほとんど一人でやることに。打ち合わせのたびに跳ね上がる金額に頭痛がします。ストレスでひどい口唇ヘルペスになり、結婚式の3日前に高熱で寝込む羽目になりました。

当日まで、「楽しみ」という気持ちより、「怖い」「みんなに笑われるのでは」という気持ちのほうが大きかったように思います。

 

でも、迎えた当日の朝。
髪をセットして、丁寧にメイクをしてもらい、ドレスに着替えた自分をみて、素直に「きれい」「うれしい」という気持ちが湧いてきました。自分でもびっくりするほど、うれしかったのです。

 

「美人でモデル体型でセンスもお金もある」人だったら、きれいな服をきて、ばっちりメイクして、みんなでワイワイ写真をとる、なんてことは日常だと思います。結婚式は、その延長線にあるのでしょう。

でも、地味な服ばかり着て、予定がなければメイクもしない私のような人には、結婚式は完全に別の次元にあります。
あんなにきれいなドレスを着て、お世話になった方に囲まれ、笑顔で写真をとるなんてことは、もう二度とないでしょう。だからこそとても新鮮で、大切な思い出になりました。

 

結婚してまだ半年ほどですが、つらいことや、泣いたことは何度もあります。きっとこれから、ますます大変なことが起こるでしょう。
そんなときは、一人で結婚式のアルバムをながめます。ゆっくりと一枚一枚見て、当日のことを思い浮かべます。そうすると、またがんばろう、と思えてくるのです。

 

恥ずかしがり屋で、人前に出るのが怖いあなた、結婚式をやることをためらってしまう気持ちはよくわかります。お金もたくさんかかるし、準備もすごく大変です。
でも、結婚式はやっぱりいいものです。その思い出は、その後何十年も続く結婚生活をずっと照らしてくれます。少しでも「やってみたい」という気持ちがあったなら、結婚式をあげることをおすすめしたいと思います。

 

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小さな一歩。じぶんで野菜づくりはじめました【ミニトマト・パプリカ】

「お金依存を減らす」ためにいろいろ工夫してみる、という私のファイト。

今回は、その小さな一歩として、自分で野菜作りをはじめてみました。

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野菜つくる!と決めたものの、経験もなければ土地もない。プランター買うのもちょっと大げさだなぁ・・と思っていたところ、袋のまま野菜栽培ができる土を発見。(ホームセンターで600円くらいでした。)袋だったら、栽培した後の処分もしやすいし、土を入れ替える手間もいらないので便利です。肥料も配合してくれているということで、購入しました。

続いて苗選び。初心者でも育てやすいという「ミニトマト」と「パプリカ」にしました。家に帰って、早速植えてみました。

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袋栽培の苗の植え方】
袋の底に水ぬき穴をあける

袋の上部をハサミで切って、内側に折り返す

土の真ん中に穴をあけ、苗を植える

とても簡単で、ものの5分ほどで植え終わりました。

せっかくなので、ミニトマトを私(シシド)担当、パプリカを夫担当ということにして、それぞれ責任をもって育てることにしました。

ちゃんと世話をすれば、夏ごろには収穫できる予定。今から収穫が楽しみです!

時計を見ているうちにおばあさんになるのは嫌だ

 仕事中、何度も壁の時計を見てしまう。そのたびに(まだ3時半か、定時まであと2時間・・・)と、頭のなかで計算する。曜日でも同じ。水曜日の朝には(まだ週の半分か・・早く週末にならないかな)なんて考えている。

昨日も、えげつないほど大量の書類を整理しながら、チラチラ時計を見て、(あれ、まだ10分しかたってない。おかしいな)と一人で不思議がっていた。

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そのとき突然、誰かが耳元でこう言った。

そうやって毎日毎日、

時間が早く過ぎるのを望んでいるけど、

時間が早く過ぎたら、人生も早く終わっちゃうよ。
それでいいの?

私はひやっとして周りを見たけど、ウトウトしている同僚のほか、誰もいなかった。

確かに、「死ぬまでに残された時間」=「命」だとしたら、私は日々、命のロウソクが早く溶けるのを望んでいることになる。それって、命に対してすごく失礼なことじゃないか?

そうやって「早く嫌な時間が終わらないかな~」って望んでいるうちにどんどん時間がたって、人生の終わりが近づいた時に、「えっもう終わりなの?そんなの嫌だ!」って駄々をこねたって、もう遅いんだ。

だけど、こうやって、時間がたつのを待っている人は多いと思う。むしろ、時計を見る暇もないくらい仕事を楽しんでる人って、どのぐらいいるんだろう?時計を見る暇もないくらい仕事に追い立てられている人なら、たくさんいるだろうけど。

どう過ごしても同じ時間なら、時計をながめてため息をつくより、目の前のことに集中して、ワクワクするような時間を過ごしたい。

まずは、今ある仕事を楽しんで、ちゃんとやり遂げようと思いました。
それでは、よい週末を!

 

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「諸子百家」が面白い!命がけで自分の信念を主張した人々

今から二千年以上前、中国大陸は戦乱の中にあった。諸国の王たちは、自国の存続をかけて戦いに明け暮れ、優れた思想家を求めた。そこに名乗りを上げたのが「諸子百家」と呼ばれる中国全土の思想家たちだった。

なかでも代表的な学派としては、以下がある。
孔子を中心とし、礼や孝を説いた儒家
・「兼愛と非攻」を説き、弟子の組織化をはかった墨家
・宇宙の根源としての「道」、人間のあり方について思索した道家
・戦争や策略についての合理的な施策を説いた兵家
・法に基づく国の統治、官僚体制の確立、信賞必罰を説いた法家

二千年以上も前に、これだけ多様な思想が花開いていたのは本当にすごい。私は「道家」特に荘子の思想が好きだけど、どの学派の説も面白い。

孔子は諸国を回って迫害を受け、結局どこにも受け入れられなかった。墨家の武闘集団は、城を守るという契約を履行できずに集団自決した。韓非子は自殺を強要され毒を飲んだ。

この時代を生きた思想家たちは、自分の人生全部、時には命をかけて、自分の信じるところを主張した。それらは数千年たった今でも、色あせることなく魅力を持ち続けている。

私は大学で諸子百家を専攻したけれど、まだまだ学び足りない、というところで卒業してしまった。でも、大学で学ぶだけが学問じゃないことに、最近ようやく気が付いた。

これから時々、このブログで、諸子百家の面白さについて書いていきたいと思う。

 

概説中国思想史

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理不尽な出来事とどう向き合うか~世界に一撃をお見舞いする

どうして自分がこんな目にあわなくちゃならないのか。そう思うことって、誰でも経験があると思う。もしかしたら、「今まさにそういう目に合っている」という方もいるかもしれない。

「福福荘の福ちゃん」という映画で、こんな場面があった。
エリートOLだった千穂(水川あさみ)がひどい目にあって、仕事もせず昼からお酒を飲むようになり、頭にポテトチップスをつけたまま喫茶店に行く。そこの怪しげな店主に身の上話をしたところ、「あなたは昔、ひどいことをして人を傷つけた。その時のツケを今払っている」と言われる。その言葉を聞いて、千穂は昔の自分がしたことを思い出し、傷つけた相手である、福ちゃん(大島美幸)に謝りに行く。

「福福荘の福ちゃん」じたいは好きだけど、ここの場面が納得がいかなかった。「ひどい目にあうのは、以前に自分がほかの人にひどいことをしたからだ」っていうのは、違うと思う。何も自分に落ち度がなくたって、ひどい目に合う時はひどい目にあうのだ。それが理不尽の理不尽たるゆえんだ。道理も何もあったもんじゃない。だからこそ苦しいのだ。

自分のことで恐縮だけれど、以前こんなエントリーを書いた。

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 ここでの理不尽は、「これといった理由もなく、教師から突然暴力を振るわれたり、授業中にさらし者にされ」たこと。たぶん対象は誰でもよかったと思う。
私が不思議に思ったのは、「どうして自分はこのできごとにこだわり続けているんだろう?」ということ。時間が解決してくれるのかもしれないけど、自分でも考えてみたかった。もっと大人になってからでも、理不尽なできごとはいくらでもあった。それらを乗り越えることはできたのに、どうしてこれだけが今も心に居座り続けるのか。

考えついた理由はふたつ。

ひとつ目は、「自分の感情にフタをして、ちゃんと向き合わなかった」こと。その時の私は、自分のなかの怒りや恥ずかしさや悲しさをどうしていいかわからなくて、「なかったこと」にしようとしていた。感情に溺れることが怖くて、「私は平気」ってむりやりおさえこんだ。でも、なかったことになんてできなくて、ねじれてからまった感情が心に残ってしまった。

ふたつ目は、「何も行動を起こさず、ただ耐えてしまった」こと。自分は子供だから何を言っても聞いてもらえないだろう、とか、どうせ卒業したら離れられる、とか言い訳を作って何もしなかった。内申点なんてくだらないものも気にして、作り笑いをしていた。
でも、違った。「どうして自分を守ろうとしてくれなかったのか」という不信感は、何年たっても消えることはない。それは、自分自身に対しても。

あのとき私は「自分はこんな目にあうのは嫌だし、やめてほしい」というメッセージを発信するべきだった。例え誰にも届かなかったとしても、私自身には、その思いが伝わったはずだから。

以上のことから、理不尽な目にあったとき気をつけるべきこと。

・自分のマイナス感情をちゃんと受け止める
・ただ耐えるのではなく自分を守るために行動を起こす

理不尽な目にあうこと自体は、残念だけど避けられない。あってしまった後にどう対応するのかということが重要で、その際は「自分自身に対する信頼」がカギになってくる。
だからどんな時でも、次の一手を考え実行しよう。思考停止はだめだ。自分を守れるのは自分だけ。場合によっては逃げることだって一手だ。逃げられないなら、その場にふんばってどう戦うか。

どんな手を使ったっていい。
自分を信じて、目をしっかりと開けて。
世界に対して、渾身の一撃をお見舞いしてやろう!