シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

理不尽な出来事とどう向き合うか~世界に一撃をお見舞いする

どうして自分がこんな目にあわなくちゃならないのか。そう思うことって、誰でも経験があると思う。もしかしたら、「今まさにそういう目に合っている」という方もいるかもしれない。

「福福荘の福ちゃん」という映画で、こんな場面があった。
エリートOLだった千穂(水川あさみ)がひどい目にあって、仕事もせず昼からお酒を飲むようになり、頭にポテトチップスをつけたまま喫茶店に行く。そこの怪しげな店主に身の上話をしたところ、「あなたは昔、ひどいことをして人を傷つけた。その時のツケを今払っている」と言われる。その言葉を聞いて、千穂は昔の自分がしたことを思い出し、傷つけた相手である、福ちゃん(大島美幸)に謝りに行く。

「福福荘の福ちゃん」じたいは好きだけど、ここの場面が納得がいかなかった。「ひどい目にあうのは、以前に自分がほかの人にひどいことをしたからだ」っていうのは、違うと思う。何も自分に落ち度がなくたって、ひどい目に合う時はひどい目にあうのだ。それが理不尽の理不尽たるゆえんだ。道理も何もあったもんじゃない。だからこそ苦しいのだ。

自分のことで恐縮だけれど、以前こんなエントリーを書いた。

ikitagari.hatenablog.com

 ここでの理不尽は、「これといった理由もなく、教師から突然暴力を振るわれたり、授業中にさらし者にされ」たこと。たぶん対象は誰でもよかったと思う。
私が不思議に思ったのは、「どうして自分はこのできごとにこだわり続けているんだろう?」ということ。時間が解決してくれるのかもしれないけど、自分でも考えてみたかった。もっと大人になってからでも、理不尽なできごとはいくらでもあった。それらを乗り越えることはできたのに、どうしてこれだけが今も心に居座り続けるのか。

考えついた理由はふたつ。

ひとつ目は、「自分の感情にフタをして、ちゃんと向き合わなかった」こと。その時の私は、自分のなかの怒りや恥ずかしさや悲しさをどうしていいかわからなくて、「なかったこと」にしようとしていた。感情に溺れることが怖くて、「私は平気」ってむりやりおさえこんだ。でも、なかったことになんてできなくて、ねじれてからまった感情が心に残ってしまった。

ふたつ目は、「何も行動を起こさず、ただ耐えてしまった」こと。自分は子供だから何を言っても聞いてもらえないだろう、とか、どうせ卒業したら離れられる、とか言い訳を作って何もしなかった。内申点なんてくだらないものも気にして、作り笑いをしていた。
でも、違った。「どうして自分を守ろうとしてくれなかったのか」という不信感は、何年たっても消えることはない。それは、自分自身に対しても。

あのとき私は「自分はこんな目にあうのは嫌だし、やめてほしい」というメッセージを発信するべきだった。例え誰にも届かなかったとしても、私自身には、その思いが伝わったはずだから。

以上のことから、理不尽な目にあったとき気をつけるべきこと。

・自分のマイナス感情をちゃんと受け止める
・ただ耐えるのではなく自分を守るために行動を起こす

理不尽な目にあうこと自体は、残念だけど避けられない。あってしまった後にどう対応するのかということが重要で、その際は「自分自身に対する信頼」がカギになってくる。
だからどんな時でも、次の一手を考え実行しよう。思考停止はだめだ。自分を守れるのは自分だけ。場合によっては逃げることだって一手だ。逃げられないなら、その場にふんばってどう戦うか。

どんな手を使ったっていい。
自分を信じて、目をしっかりと開けて。
世界に対して、渾身の一撃をお見舞いしてやろう!