シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

夫を死なせたくないのは100%私のエゴで、もはや愛じゃないと思う

こんにちは、宍戸です。ブログのPVは相変わらずほんのちょっとだけど、スターをつけてくれたり、初めて読者になってくださった方もいてすごく嬉しいです。本当にありがとうございます。

 

さて、私は死にたがる夫(27歳)と暮らしています。夫が「死にたい」というたびに、「私が生きてるうちは無理。絶対に阻止する」と言っています。ただ、薄々気づいてはいたんですけど、これって私のエゴですよね。本当に夫のことを思うんだったら、「もう十分頑張ったから、自分の好きな時に死んでいいよ」と言ってあげるのが優しさなんだと思います。私が夫に「死なないで」っていうのは、私が夫ともっと一緒にいたくて、いろんなことを一緒にやりたいからっていうだけで、私の都合なんです。というか、もし離婚することになっても夫には生きててほしいし、夫が生きてる世界と死んだ世界では、私にとっては意味が全然違ってくる。

 

私、つい最近まで自動車学校に通っていたんですが、

ロビーで高校生が

A「俺帰るわ」

B「はっ?俺、夜の学科あるからお前もそこまでいろよ」

A「いやいや俺もう学科ねーから。じゃあね」

B「マジで帰る気?信じらんねー」

みたいな会話をよくしてて、いやいやBおまえが信じらんねーよ学科くらいひとりで受けろよたわけ者、って思ってたんですけど、これ、学校を人生に置き換えたら、私がBなんじゃないかって思います。自分が一人でいたくないから、Aを無理やり引き留めようとしてて、自分の思い通りにならないAを非難してる、という構図ですね。

 

私がクルマの運転が苦手で怖くて吐きそうになるのと同じように、夫にとっては生きることそのものが苦手で怖くて吐きそうでもうやめたいのかもしれない。傍目には楽々こなしてるようにみえるけど、そのぶん理解されづらくて苦しいのかもしれない。

 

 

 

というようなことを常々考えるけど、今のところ私は夫に死んでいいよという優しさを発動する予定はありません。