シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

どうしてゆーれいがこわいのか考えてみた

私だめなんですよ、ゆーれいの話。本当にダメ。お断り。漢字で書くのすらこわいから「ゆーれい」ってひらがなで書く。なのに、最近怖い話を見たり聞いたりしちゃったので、しばらく目をつぶってシャンプーできそうにありません。

どうして私はこんなにゆーれいが怖いのか。世の中には、自分から好んでホラー映画を見にいって、ケロリとして帰ってきて、その日から目をつぶってシャンプーできる人々もいるというのに。彼らは言うでしょう。「だってあれは作り話なんだから」「現実とは関係ないから平気だよ」

でも、私にはそうは思えない。ゆーれいは、ほんとにただの作り話なのか。それとも…。

だからって、ただ怖がっているのは悔しいので、「どうしてこんなにゆーれいが怖いのか」を考えてみました。しばらく考えていたら、自分でも意外な答えが出ました。

「未知のものに、思いがけないタイミングで、自分の心を乱される」から怖いんじゃないの?

別にゆーれいに限らず、知らないもの、よくわからないものが怖いのではないか。ゆーれいに遭遇する、というのは、その「よくわからないもの」が突然あらわれて、何かしら心を乱してくるわけだから、怖いうえになんだかちょっと面倒。

ゆーれいには、いままであったことがなく、これからもおそらく会うことはないと思います。だから、「 ゆーれいをよく知る」って不可能だと思うんですよ。いるのかいないのか自体、はっきりしないし。だからきっと、ずっと怖い。でも「よくわかんないから怖いんだ」と思うとちょっとすっきりしました。

だけど、こわいことはこわいから、やっぱりゆーれいの話はしないでね!

 おしまい。

 

 

転勤族の妻で孤独を抱えている方、ブログはじめてみませんか?

こんにちは。宍戸(シシド)ハルカといいます。
転勤族の妻になって1年目、今は北海道の田舎に住んでいます。夫が今の職場にいる限りは、今後も2,3年周期で全国転勤の予定です。

もしかすると、これを読んでくれている方は、同じ転勤族の妻で、孤独を抱えている方かもしれません。そうだとしたら、私がお伝えしたいことはひとつです。

「あなたも、ブログを書いてみませんか?」

f:id:shishido75:20160411203713j:plain

 少しだけ、私の話をさせてください。
東京で、約5年間勤めた会社をやめ、北海道に引っ越した私を待っていたのは、ものすごい孤独感でした。知り合いも仕事もなく、話す人といえば夫だけ。午前中に家事をすませると、もうやることがなくて、夕方までずっとテレビばかり見ていました。お金もなく、車の運転もできないので、ひとりでどこにも行けないのです。新婚で幸せなはずなのに、寂しい日々でした。

たまに、元同僚の女の子からLINEが来ます。そこには、元チームメンバーが飲み会でワイワイやっている写真。つい数か月前まで、私もそこで一緒に笑っていたのに。みんな、私がいなくても、何事もなかったみたいに楽しそう。「いいなあ・・・」結婚も退職も、自分で決めたことなのに、少しだけ後悔しました。

そんなときに、ブログに出会いました。はじめはもっぱら読む専門。こんな面白い文章が無料で読めるのか、と驚きました。そのうち、更新がないとガッカリするようになり、「そうだ、自分で書けばいいんだ」と思い立ったのです。最初は短い、ただの日記みたいな記事から始めました。はじめのうちはもちろん誰も見てくれないけど、数日たつと、少しずつ読んだ方から反応がもらえるようになりました。私が、ひとりぼっちで、北海道の片隅で書いた文章を誰かが読んでくれている!インターネットってすごいと思った瞬間でした。

ブログなら、全国どこにいても続けることができるし、誰かと交流することができます。お金もそんなにかかりません。もともと文章を書くことが好きな人なら、きっと楽しく書き続けられるはずです。

もし、これを読んでブログをはじめようと思ってくださった方がいたら、気が向いたらでいいので、連絡をください。えらそうに書いてしまったけど、私もこのブログをはじめてまだ1か月ちょっとです。よかったら、一緒にやってみませんか?もしやってみて、あんまり楽しくなかったら、そのときはそのときです。気軽にはじめて、もしうまくいったら儲けもの、くらいの気持ちでいいと思います。

転勤族になったことを、後悔しないで暮らすために、ブログはとても役立つツールです。今じゃなくても、ご自身の良いタイミングで、(ちょっとやってみようかな?)と思っていただけたら、とてもうれしいです。

 

 

嫌なことをずっと考え続けるのは、傷口をいじり倒すのと同じ

子供のころ、かさぶたをはがすのが好きでした。はじっこから慎重にめくっていくあの感触。失敗すると血がにじんで、あの時の「あーあ」っていう感じもやみつきでした。大人になると、思いっきりコケることもなかなかないので、かさぶたはがしもご無沙汰です。別にいいんですけど、ちょっと寂しい気もします。

 さて、ここまでは前置き。今日は、「嫌なことを考え続けるのは、傷口をいじり倒すのと一緒」という話をしたいと思います。

 私の知り合いで、Iちゃんという子がいます。Iちゃんは、会うたびにすごくストレスを抱えていて、「嫌な上司にこんなことを言われた」とか「こんな理不尽な目にあった」と話してくれます。結構時間が経っているできごとも、現在進行形のようにはっきりと覚えている。転職も数回経験しているのですが、どこに行ってもそんな感じ。私は、(なんでIちゃんばっかり嫌な目に合うんだろうなぁ、かわいそうに)と思っていました。

f:id:shishido75:20160410140509j:plain

 でも、最近になって気が付いたんです。どこにいっても、Iちゃんばかり嫌な目に合うなんてこと、あるはずがない。Iちゃん自身が、嫌だったことに執着して、大事に抱えているんだ、ということに。

 Iちゃんは健康で才能があり、広い家と優しい旦那さんもいて、見方を変えればかなり羨ましい環境にいるのです。でも、Iちゃんから「こんないいことがあった」っていう話をあまり聞いたことがない。Iちゃんの心の焦点は、嫌なことばっかりに合っていて、いいことや楽しいことに合いづらいのだと思います。たぶん、Iちゃんの心のクセのようなものが、そうさせているのでしょう。

ほんとは、Iちゃんにこう言いたい。愚痴だったら、いくらでも聞いてあげる。でも、大切な自分の時間にまで、嫌なことを考えて過ごすことはないんじゃない?嫌なことをずっと考え続けるのは、せっかくできたかさぶたをはがすのと同じだよ。

 放っておけば治る傷だって、ずっといじってたらバイ菌も入るし、治るどころか悪化してしまうことがあります。それと同じで、嫌なことだってずっと考えてたら、どんどん嫌な気持ちが増殖してきます。だから、嫌なことは、ある程度周りに吐き出したら、さっぱり忘れる!無理だって思うかもしれないけど、それこそ無理にでも、頭から出て行ってもらうようにしたほうがいいのです。

私も、どうしても嫌なこと、不安なことのほうに目が行きがちなところがあります。だからこそ気を付けたい。体のかさぶたは剥がしても、心のかさぶたは剥がしません。傷にはそっと眠っておいてもらいましょう。触っても血が出なくなるころには、きっと笑って話せるようになっているはずだから。

 

「働くおかあさん」が自分につとまるのか不安

働きだしたら、とたんにヘロヘロになってしまったシシドです。職場に行って帰ってくるだけで、もうぐったり。家に帰ってすぐ横になりたい。でもそういう訳にいかないから、晩ごはんを作って洗濯物たたんで掃除機かけて、夫帰宅して晩ご飯食べて食器洗ってシャワーを浴びたら、あらもうこんな時間!ブログ書きたいけど疲れて頭が働かない。悲しいけどもう寝よう。明日も仕事だし。

 

こんな感じで1週間たってしまいました。で、ふと思ったんです。夫と二人暮らしで既にヘロヘロだけど、働くお母さんはこの何倍も大変なのでは・・・?

f:id:shishido75:20160407211229p:plain

 なんだかんだ言っても夫は大人。自分のことは自分でできるし、ごはん作りたくないなら飲みに行っちゃおう、ということもできる。でも、これが小さい子相手だったら、こうはいきません。赤ちゃんのときはもちろん、少し大きくなって自分で動けるようになっても目が離せない。保育園に預けて働くにしても、夕方以降は自分で面倒みつつ家事もしないといけないし。仕事も子育ても家事も完璧にこなそうとしたら、絶対キャパオーバーでしょ・・・。実家の母親にサポートしてもらえる環境ならまだしも、ひとりで全部なんてできるのか・・・?

考えたら不安になってきました。まだ子供いないしその気配もないのに、やっぱり気になっちゃうんですよね。明日も仕事だし、今日はもう考えないで、お風呂はいって寝よ・・・・。

 

「書くことが好き」なすべてのひとへー『書くことについて』スティーブン・キング

こんばんは。今日ご紹介するのは、泣く子も黙る世界的ホラー作家、スティーブン・キング文章読本『書くことについて』です。

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

(私は去年購入したのですが、既に線を引きすぎてボロボロです・・)

この本は、以下のように構成されています。
1履歴書
2道具箱
3書くことについて
4生きることについて
5閉じたドア、開いたドア

1「履歴書」

スティーブン・キング(以下キング)の半生をつづったもの。初めて書いた小説、応募しても応募しても結果の出ない日々、後に妻となる女性との出会い、小説家デビューの経緯などが描かれています。物語としても十分に面白いです。

2「道具箱」3「書くことについて」

ここが本書の眼目。キング自身の言葉で「書くことについて」語られています。

私は何も言っていない。あなたも訊いていない。私は口を開けてもいない。あなたも同じだ。われわれは同じ部屋にいるわけでもないし、同じ時間を共有しているわけでもない。にもかかわらず、われわれは一緒にいる。あなたと私の間に、へだたりはない。
心と心が共鳴しあっている。

書き手が何かを書き、それを読み手が受け取る。それがどういうことかを表現した文章です。キングの場合は小説ですが、ブログでも同様です。おそらく一生会うことはない人の、あったとしても話してはもらえないだろう考えや思いを、ブログを通じてうけとり、交流ができる。これって、すごいことですよね。

具体的な文章のポイントについては、たとえばこちら。

テンポを良くするには、刈りこまなければならない。それは最終的に誰もがしなければならないことである(最愛のものを殺せ。たとえ物書きとしての自尊心が傷ついたとしても、駄目なものは駄目なのだ)。

上の文章は、「テンポをよくするために無駄な部分を削りましょう」の一言で片付いてしまいます。それが、魅力的な言い回しで、読者の印象に残りやすくなっています。

4「生きることについて」

この本を執筆中、交通事故にあって重傷を負ったキング。彼は、痛みをこらえながら、それでも書き続けることを決断します。「ひとは、何のために書くのか」に対するキングの答えがこちらです。

一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書く者の人生も豊かにするためだ。立ち上がり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。

あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏み出す勇気があれば、書いていける。書くということは魔法であり、すべての創造的な芸術と同様、命の水である.

まるで、書きたい人に対するラブレターのような一節です。

5「閉じたドア、開いたドア」

この章では、プロの作家(それも世界的な有名作家!)の一次稿と、二次稿を読み比べることができます。これがまた全然印象が違っていて面白い。プロの作家といえど、こんなに直しが入るのかと驚きます。それなら、自分の文章だってリライトするのが当然だな、がんばろう!と思わせてくれます。

以上で、本のご紹介は終わりです。

最後に

ここまで書いてきましたが、これを書いている私(シシド)の文章がまだまだ下手です。毎日、色んな方のブログや書籍を読んでは、(どうやったらこんなに面白い文章が書けるんだろう・・)とモヤモヤしています。

でも、落ち込んでいる暇はありません。私の修業はまだ始まったばかりです!

たくさんの優れた文章を読むこと、そして指先に心をこめて書くことで、きっと自分の腕も上がっていくと信じています。そんな日々の隣には、この『書くことについて』をいつも置いておきたいと思うのです。