シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

ひとには泣きたいときに泣く権利がある

今日もまた夫が泣くのでつらい。明日の仕事のやることリストを作りながら泣いている。仕事のことを考えたほうが気持ちが落ち着くらしい。私は夫が泣くとなぐさめたくなるけど、仕事をするのは私ではないから結局うわべだけのなぐさめにすぎない。

ほんとうに、ほんとうに正直に言うと、もう泣くのはやめてほしい、とちょっとだけ思ってしまった。本人がすきで泣いているんじゃないのはわかっている。でも、つかれる。私までもう生きてるのって最悪!渡る世間は鬼ばかり!という気分になってくる。こんな日に限って、天気が悪くて寒くて風もビュービュー吹きつける。

私はもう考えるのにつかれて、ぼうっと夫をながめていた。なぐさめる言葉を考えることもできなかった。しばらくそうして心をからっぽにしていたら、心にある一言が浮かんだ。

「ひとには 泣きたいときに泣く権利がある」

夫が泣いているところを見たくない、というのは完全に私の都合だ。ひとには、泣きたいときに泣く権利がある。そして今、夫は泣きたいときなのだ。

私も、一人暮らしのときは誰にも見られずによく大泣きしていた。他人から見れば、くだらない理由のときもあった。今の私ですら、あのときはなんであんなことが異様に悲しかったのかと首をかしげたくなることもある。でも、当時の私にとっては、空が落ちてくるくらい悲しいできごとだった。それを笑う資格は、誰にもないと思う。

夫の悲しみは夫のもので、私の悲しみは私のものだ。結婚したって、一緒にくらしたって、他人の悲しみをうばうことはできない。

夫はしばらく静かに泣いて、「今日は走りにいくことにするよ」といった。だから私も一緒にいって、プールで泳いでくることにする。泳いで泳いで、ひたすら水をかきわけて、心をからっぽにしようとおもう。