シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

「死んだら負け」と「死んだら勝ち」の埋まらない溝

夫とニュースを見ながら晩ごはんを食べる。時々、自殺のニュースが報じられる。全然知らない人の話だけれど、胸に突き刺さる。他人事とは思えない。先日もそういうニュースがあって、私は思わず「なんで自殺なんて」と声に出してしまった。夫は、私から目をそらしたままで「いいんじゃない」とつぶやいた。「本望だったんやろ」とぽつりといった。私はなにも言えなくなって、黙ってごはんを食べた。

 

私は、死んだら負けだと思っている。死んでしまったら、もう試合に出られない。不戦敗だ。夫は多分、死んだら勝ちだと思っている。死んでしまえば、もう試合に出なくていい。全部拒絶して、何も考えなくていいのだ。

 

私は夫が死にたがるたびに傷つく。自分の意志で死を選ぶっていうことは、すべてを拒絶するということだと思う。文字通り、命懸けで拒否している。どうしようもないほど悲しい。悲しいけど、誰かリアルの知り合いに打ち明けるわけにはいかない。そんなことを言っても、きっと困った顔をされて、「病院にいったほうがいいよ」とか言われるだけだ。でも、これは病院に行けばよくなるとか、そういう類の話じゃないと思う。「死んだら勝ち」という夫の考え方は、夫の芯の部分から生まれているものだから。外から働きかけて変えるのは、きっとすごく難しい。

 

この文章を読んで、読んでくれたひとはどう思うだろう。きっと重苦しい気持ちになると思う。不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。でも、ブログを書くと気持ちが整理されるせいか、自分はすこし楽になります。もっといろんな文章がかけるといいな。いい意味で、読んでくれた人の心を動かす文章が書きたい。