シシドのヒトリゴト

きょうも指先に心をこめて

シシドも今日から戦います!まずは、「自分に嘘をつかない」ことを目指す。

この度私シシドは、はてなファイトクラブで戦うことにしました。

hatenablog.com

グループを作った自由ネコさんのブログを読んで、ずっと気になっていた。

はてなファイトクラブは、他の人とケンカするためのクラブじゃない。参加したブロガーそれぞれが、自分の信じる戦いをする、とても面白いグループだ。それは、以下のエントリを読んでいただければおわかりいただけるはず。

gattolibero.hatenablog.com

全てを肯定する、という自由ネコさんの戦い。

project-gig.hatenablog.com

書き出しの一行目からかっこいい!

yuruku-simple.hatenablog.com

ゆるくて可愛いけど芯がある、ことりさんの決意表明。こちらを読んで、入会する決心がつきました!

 私が戦うと決めたもの。それは「自分の嘘」と「お金」

ファイトその1「自分に嘘をつかない」

わたしは、普段から人にどう思われるか、がすごく気になる。ブログでもそう。「これを書いて人にどう思われるだろう?」と気にすると、書けなくなってしまうことがある。あとは、表現をちょっとあいまいにぼかしてみたりする。

でもそれって、何のための、誰のための匿名ブログなのか?って心のどこかで思ってた。どうして書く前から自分で予防線を張って、びくびくしているんだろう?何に対して怖がっているの?そんなの、リアルの世界だけでじゅうぶんだ。

そりゃあ、意味もなくひとを嫌なきもちにさせたり、過激なことを言ってアクセスを集めようなんてことはよくない。でも、そうじゃなくて、自分が心から言いたいことだったら、本当は何を書いたっていい。ブログにはそういう自由がある。

だから、明日から尖ったエントリを書きまくります!・・っていうわけじゃない。ささいな出来事とか、自分の弱い部分とか、読む人いるのかなっていうことがらでも、自分が書きたいって思ったら、その気持ちに嘘をつかずに書くこと。これが私の第一の戦い。

ファイトその2「おカネ依存度を下げる」

個人的な話なのだけど、私は結婚して、いったん家庭に入った。その期間に、いろんなことが重なって夫が体調を崩してしまった。もしかしたら休職、退職という選択肢もあった。あのとき私が感じたのは「どうしよう、生活していけない」という恐怖感だった。絶壁の崖に追い詰められて、あと数センチしかないような。
じゃあ、自分のチカラでお金を稼ぐようにすればいいのか。もちろん、そういう戦略もある。でも、私にはちょっと違和感があった。お金を稼ぐことを目標にしたら、死ぬまでお金に依存してしまうことになると思ったから。
お金は、誰かを満足させることで得られる対価だ。誰かを満足させるためには、自分の中にあるリソースのなにかを差し出さなければならない。だったら、そのリソースを、直接自分や家族の満足度を上げるために使えばいいんじゃないか。

といっても、そんなだいそれたことじゃなくていい。たとえば今までスーパーで買うだけだった野菜を自分で作ってみるとか、ジム通いをやめて近くの海や山に行くようにするとか。アイデア次第で、やれることはたくさんある。
もちろん、お金を一切使わない生活、なんて難しい。でもちょっとずつ、自分のアイデアや工夫で時間をかけて、「いざとなったら自分でできるんだ!」っていう手ごたえを感じられるようにしておきたい。これが私の、第二の戦い。

 

これからもマイペースに、でも真剣にやっていきたいと思っています。
みなさまどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

私がブログを書くのは 「シシドハルカ」に会いたいから

ブログを書く人はみんな、インターネットの海に、小さな自分の島を持っている。その島は毎日コツコツと作り上げ、広げていくもの。気が向いた時には、別の人の島に遊びにいって、ごあいさつすることもできる。そして、「その島がある」という安心感が、実生活を少しだけウキウキさせてくれたりもする。

シシドハルカは、私がブログを書くときに使う名前なのだけど、シシドは、私であって、私じゃない。コーヒーを淹れて、PCを立ち上げて座っているときにだけあらわれる、友達のような、お姉さんのような存在だ。

リアルの私は、どちらかというと聞き役に回ることが多い。自分が発した言葉で、不用意に人を傷つけるのが怖いから。人間は複雑だから、どこをどうしたら傷つくのか、本人にだってわかっていないこともある。私自身もそう。だから、どう言葉を選んでいいのか考えているうちに、話題は別のところに飛んでしまっている。そうなるくらいなら、人の話を聞いていたほうがいい。

でも、そんな私にも、誰かに話をきいてもらいたい時がある。できれば静かな部屋で、ふたりきりで。そんな時は、だまってPCを立ち上げる。そうすると、シシドがそばにやってきて、話を聞いてくれるから。
シシドは、私よりほんの少しだけ大人で、私が受け流そうとする感情や考えを丁寧にすくいあげようとする。私はシシドの助けを借りて、流れていくはずだった感情や考えを救い上げ、すこしずつ積み木を積み上げるみたいに、世界を作っていく。

言ってみれば「シシドハルカ」は、私が作った島に住んでいる、私の友達なんだと思う。決して私のことを笑わずに、いつも静かに話を聞いてくれる彼女。

私はシシドハルカに会いたくて、今日もこのブログを書いている。

 

今週のお題「私がブログを書く理由」

非正規ではたらくメリット4つ~まず精神的疲労が全然違う

私は今、非正規雇用で働いています。新卒で約5年間正社員として働き、数か月の無職期間を経て、現在の職につきました。

(無職の期間に結婚したので、今は夫と共働きです)

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正社員で働いていたころは、「非正規=不安定」というイメージがありました。企業側からすれば、労働力を弾力的に確保できるというメリットは大きいのでしょう。でも、雇用される側からみれば、昇給や賞与もなく、1年先の雇用がどうなるかすらわからない。なれるものなら正社員を目指したほうが有利、と信じて疑わずにきました。

そして、いざ自分が非正規の身分で働くことになって1か月。感じたのは、非正規雇用には、正規雇用にはないメリットもある、ということです。以下、挙げていきたいと思います。

やるべき仕事が明確に決まっており、自分で選べる

正社員のころは、会社の業務範囲であればなんでもやる、という感じでした。そのため、せっかく業務を覚えても、会社の都合で来月からまったく新しい業務の担当となることもしばしばです。納得がいかなくても、辞令が出れば従わざるを得ません。
その点、非正規雇用は業務の範囲が明確です。規定の範囲を超える業務を任されることは、基本的にはありません。(中には容赦ないブラックな企業もあると聞いているので注意が必要ですが)

 精神的疲労が少ないので、仕事以外にエネルギーを割ける

 正社員時代は、「何を達成するか」は決まっていても「どうやって達成するか」は自分の裁量に任されていました。残業、休日出勤、家に持ち帰って仕事をしている時期は、ずっと仕事のことが頭から離れず、プレッシャーで眠れない夜もありました。自炊する気力もなく三食コンビニで済ませ、当時学生だった夫がせっかく訪ねてきてくれたのに、不機嫌な応対をしてしまうことが少なくありませんでした。
それに対して、非正規雇用は、賃金が少ない代わりにプレッシャーや責任もありません。もちろん、就業時間内はきっちりと仕事をこなしますが、家に帰ってまで考えることはありません。今は家に帰ったら自炊をして、のんびり本を読んだり、夫と今日のできごとを話したり、こうやってブログを書いたりする心の余裕があります。

何らかの事情でフルタイムで働けない方も働くことができる

 非正規雇用は確かに不安定ですが、そのぶん柔軟な形態と言い換えることもできます。様々な事情で長い時間働けない方や、ある特定の時期にだけ働きたい方なども、非正規雇用というかたちであれば働くことができます。また、非正規社員の方が定型化された作業を担当すれば、正社員の方はそのぶん「価値を生み出す」仕事にリソースをあてることができます。正社員という名のもとに過重な労働を強いられている方からすれば、定型化された作業だけでも他の人にやってもらうことで、負担がいくらかでも軽減されるはずです。

自分の将来や、スキルについて真剣に考えるようになる

皮肉な話かもしれませんが、私は正社員時代より、非正規雇用の今のほうが「個人としての自分の価値をどう高めていくべきか」「どういう生き方が自分にとって幸せなのか」ということを真剣に考えるようになりました。正社員時代は仕事が人生の優先順位1位でしたし、このまま働き続ければ少なくとも悪いようにはならないだろう、という根拠のない思い込みがあったからです。しかし、会社という後ろ盾をなくした今、自分について真剣に考えてくれるのは自分しかいない、ということを痛いほど感じています。本当は正社員時代もそうだったのに、そのことが見えていませんでした。そう考えると、正社員時代は安定と引き換えに、自分の人生を人質に差し出していたようなものだといえます。

 

最後になりますが、正社員と非正規社員のふたつの立場を経験できたことは、私にとってはよかったと思っています。どんな生き方を選ぶにせよ、犠牲になるものはあるので、これからも自分に合う生き方を模索していきたいと思います。

 

 

若くもなければ栄光もないけど生きていくよ

若いということは、夢をみられるということだと思う。今の自分はこうだけど、未来の自分はもっとずっと素晴らしい自分になっているはず。だって、自分にはたくさんの可能性と時間がある。かなえたい夢は全部かなえられる。きっと。

「私は若い。求めるものは栄光だけ」と言い残したのは、小説『whores on the hill』に出てくる伝説の女子学生で、私はこれがめちゃくちゃかっこいいと思って中学の卒業文集に書いた。

あれから12年たって、私は若さを失いつつあって、栄光なんてどこにもない。

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今日はきもちよく晴れたので、夫と海辺のピクニックにでかけた。オンボロの軽自動車を道の脇に停め、砂浜におりる。白くてすべすべした流木に腰かけて、海を見ながらふたりでドーナツを食べた。

海は透き通っていて、手をひたすと結構つめたい。靴下をぬいで裸足になって、海にはいったらもっと冷たくて、「ぎゃー、さむい」と言いながら波打ち際でぱちゃぱちゃして遊んだ。海に午後の陽射しが反射して、あたり一面がきらきら光っていた。

私は有名になれなかったし、お金もあんまりない。
夫は心の不調を抱えていて、先行きは見えない。

だけど、日々精いっぱいやってきた。だからこそ今がある。輝かしい栄光がほしかった昔の自分からみたら、「物足りない」っていうかもしれないけど。
でも、これはこれで、結構、悪くないよ。

 左手に海を眺めながらの帰り道。(そうだ、今日の夕飯はポトフにしよう)と思った。

 

 

 

子供を産むことに関する複雑ないろいろについて

「世界に対して文句があるなら子供なんか作るな」
これは、『羊をめぐる冒険』という小説の主人公のセリフ。小説の筋は忘れてしまったけれど、このセリフだけは忘れられなかった。

私は今27歳。結婚して1年目。「お子さんは?」って聞かれることも、なくはない。そういうときは、「授かりものですから」って答えることにしている。でも、なんだか、自分でもどうしたいのかわからない。子供ほしいほしい、って思う日もあれば、自分が親になる資格があるのか、考え込んでしまう日もある。

「産んでくれって頼んだ覚えないんだけど」

かつての私が父と母に投げつけた言葉が、ブーメランのようによみがえる。

夫は、子供がほしいと思っているようだ。そういえば、昔から子供をよくかわいがる人だった。「子供を産んだら自分の都合でしぬわけにはいかなくなるけどいいの?」と言ったら、「孫の顔をみるまでは生きる」と言っていた。どうしていきなり孫なのかはよくわからないけど、それが彼なりの責任のもちかたであるらしい。

命が生まれること、生きていくことはまぎれもない奇跡だ。
子供を育てることは奇跡に毎日出会うということ。
自分がその立場になったら大変すぎてわからなくなっちゃうかもしれないけど、とにかくそれは奇跡なんだ。

私が自分の子供に会える日がくるのかはわからない。もしそういう子がいてくれたら、全力で歓迎するし一緒にいろんなことをやりたい。楽しいこと、うれしいこと、悲しいこと、つらいことも全部ひっくるめて人生って素晴らしいな!と思えるような人になってくれたらうれしいけど、そうならなくても全然かまわない。

いろんな思いがあふれてきては去っていき、まとまりません。まとまらないのはわかっていたけど、書いてみたかった。

 今日はこれで終わりたいと思います。